昨年、年度末に家を買った。
手続き書類の用語が日常のそれと違っていて意味が分からなかった。
英単語が分からず長文が読めないのと同じだ。
不動産の人に助けてもらい、それが仲介手数料としてのってくる。
こうやって世の中回っているのだな、といつもの買い物より感じた。
町内会の集まりやご近所との回覧板の受け渡しがあったりと昔、親がやっていたことを今自分たちがやっている。

ここでちょうど30年前にさかのぼると長崎・雲仙普賢岳の噴火がある。
火砕流(かさいりゅう)が山肌を猛スピードで下り、民家を襲う映像は恐怖だった。
長崎への修学旅行のとき熊本・三角からフェリーにのって島原を見たとき、当たり前なのだけど、あの映像は作り物ではないことを実感したものだ。

家は都城市の南の方、5分も歩けば県境というところ。
夜明けと共にウグイスが発声練習をしていて良い気分。
職場から帰宅するときは毎晩のように道端でタヌキを見かける。この前はウサギを見た。
近くを都城・志布志道路(無料)が通りスーパーニシムタへは10分、たまにはウナギを食べに行こうかとなっても志布志方面へたったの20分車を走らせれば磯の香りがしてくる。
何か説明はつかないのだけれどホッとする。

3月、2番目の子が生まれた。
元気で大きい女の子。
支えて下さった方々、妻には感謝してもしきれない。
コロナ禍の中何かと制限が多く、産院へは一度も行けなかった。
上の子の時はいとこ7人からたくさんおさがりが回ってきて、今でも着るものはあふれているが、今回初の女の子ということで、ほぼ服は購入になってくる。
妻は服を何を着せようか楽しいようだ。
生まれた数が少ない分、何かと重圧がかかってくる世代に違いない。
逞しく育っていって欲しい。

広原校 佐方 一史