最近ニュースを見ていて、ふとあることに気が付きました。
それはカタカナ言葉が以前にも増して増えてきているということです。

マニフェスト(声明文、宣言書)やコンプライアンス(法令順守)などずいぶん前から使われだして、ある程度市民権を得た感じの言葉もありますが、コンセンサス(意見の一致、合意)やエビデンス(根拠)など、まだ社会人として働いた経験のない生徒や児童には意味の分からない言葉も多数使われているような気がします。

カタカナ言葉が増えることは問題ないのですが(私としては漢字表記の方が知らない言葉でもある程度意味が推測できるので良いのですが・・・)、伝える側(情報を発信する側)としてはどうだろうと考えるところもあります。

学習塾の講師としての私の役割は子供たちに分かりやすく伝えることだと思っています。

例えば教科書に載っている内容をただ読んで聞かせるだけならば、講師としての私は必要ないと思います。
専門的な知識がまだない子供たちにとっては教科書や参考書には難しい言葉や分かりにくい表現が多々あると思います。
それらをかみ砕き、日々使っている言葉や表現に置き換えて伝えていくことが子供たちには必要です。

時々、自分の授業は子供たちに上手く伝わっているかどうか不安になることもあります。

そのたびに帰りの車の中で授業を振り返り「具体的な例を挙げればよかったかな」とか「ほかに良い表現がなかったかな」と考えますが、いつも「次はもっと良い授業をしよう」と締めくくって終わっています。

年齢も違えば育ってきた環境も違う。
そのような他者に何かを伝えるということは簡単なようで難しいものです。

皆さんも誰かに何かを伝えるときには、その言葉や表現が相手にきちんと伝わっているかどうかを考えながら伝えてみましょう。
一人よがりな伝え方になっていませんか?
東 祐一